富田安紀子「目が見えなくなるより、イジメの方が怖かった!」

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富田安紀子「目が見えなくなるより、イジメの方が怖かった!」

 

 

 

 

 

富田安紀子さんの病気が見つかるまでの経緯

詳しいプロフィールは所属事務所に書いてあります

見つかりません | ココダイバーシティ・エンターテイメント|障がい者・難病者専門 総合芸能プロダクション

 

 

産まれた時は両目見えていた。

 

小学校2年生の時から違和感を覚えた。

文字が2重に見えたり、黒板の文字が見えなくなってきた。

学校の先生が一番最初に異変に気付いてくれ、お母さんに病院へ行くように勧めてくれた。

 

最初、医師から虹彩炎と言われていた。

薬を貰ったけど、それだけでは治らなくて、副作用で体重もみるみる増えて小学校2年生で50キロ近くになった。

小学校4年生の時には両目見えなくなっていた。

 

ぶどう膜炎であるという事が分かった。

全身検査をしたけど、原因不明。

 

ただし、大阪と東京に専門医があることが分かったので、大阪の国立病院へ岐阜から通うことになった。

今までどうしようもできないと言われていたけど、ここで初めて手術ができると言われた。

 

両目に人口眼内レンズを入れることになった。

十何時間もかかった。

手術をして、右目は海の中にいるように青く見え、左目は暗闇で光が少し分かる程度。

(結局、左目は大人になっても回復しなかった)

でも、病院のご飯でご飯粒が見えた時は嬉しかった。

 

月2回大阪の病院へ通い、それからも十何回を手術を受けた。

小学校5年生で左目が完全に失明。

 

 

学校での授業の受け方

授業を受ける時は一番前の席で単眼鏡で黒板を見ていた。

人口眼内レンズが入っているので、遠近ができない。

 

遠くを見る用の眼鏡(黒板を見る時)

近くを見る用の眼鏡、手で持つ虫眼鏡、置いて見る虫眼鏡の3つで授業を受ける

教科書もお母さんが新聞紙ぐらいに拡大してコピーしてくれていた

 

 

小学校4年生の時、担任の先生が盲学校があることを教えてくれた

学校の先生が泣きながら、「盲学校へ行くという手もあるよ」と教えてくれる。

それをお母さんに伝えると、お母さんも賛成してくれていた。

 

それまでは、学校の送り迎えはおばあちゃんがしてくれていて、教室の机まで手引きをしてくれていた。

小学校4年生の時の友達はみんな仲良くて、自分の目となって支えてくれていた。

正直このクラスから離れがたかった。

 

小学校5年生から盲学校に転入。

小学校4年生3月に受けた手術で目の視力が良くなってしまい、1年しか盲学校に行けなかった。

「視力が良いので、元の小学校に帰ってください」と言われてしまう。

 

ここからがいじめの始まりだった。

 

 

イジメられていることを28歳まで言えなかった

小学校6年生からイジメが始まりました。

元いた学校なので、知っている友達とかもいたのに、イジメられない為に富田さんに話しかけたりみんなしなかったようです。

 

プールに誘われてついて行ったら、プールに沈められて救急車を呼ばれたり

紫外線防止の色付きメガネをしてて「メガネ猿」と言われたり、踏まれたり

足を引っかけられたり、

無視をされたり…

 

お母さんには自分が失敗したから溺れた、メガネが壊れたと伝えていたようです。

28歳になって初めて、イジメを告白できたそうです。

 

 

介護福祉士歴9年!

こういう記事がありましたよ!

介護の仕事 私たちらしい働き方/富田安紀子さん/岐阜県介護情報ポータル
介護の仕事の魅力、理解、将来にわたる介護人材の確保・定着の促進及び介護事業所の職場環境改善など介護業界全体のボトムアップを図ることを目的として、認定を受けた事業所の特徴・取り組み等紹介、介護現場で活躍する人の紹介及び各種支援制度・イベント情...

 

最初は保育士になりたくて短大に言った。

園児の命を預かる重さ、教育実習期間中だけでも外にいるだけで目の視力が低下した。

それで、保育士はできないと思いながらも資格取得。

 

人にお返しがしたかったので介護福祉士の資格を1年でとれる学校へ行く。

資格取得後、そこから9年間、介護福祉士として働いた。

 

一部の人たちからイジメはあったが、仕事は好きだったし、職場の人も好きな人が多かった。

イジメの事を上司に相談したら、上手いぐあいに仕事を振り分けてくれて対処をしてくれたりした。

 

芸能活動と介護福祉士などで頑張りすぎて体を壊した。

病院の先生に「何か1つ辞めて下さい」と言われ、悩んだ結果、介護職を卒業するこになったそうです。

 

 

義眼を入れて自信がついた!芸能活動開始!

右と左の目の大きさが違っていた。

白内障もあって目が青っぽくなっていて、コンプレックスで髪で目を隠していた。


26歳の時、主治医の先生が義眼をすすめてくれた。

最初、目をくりぬくと思っていて断っていた。

先生の話を横で聞いてたお母さんが即「入れて下さい」と言ったそうです。

その時に試しに入れてみたらお母さんと一緒に「可愛い」と思った。

髪で隠さずに、顔を出せるようになった。

 

お母さんが急に芸能事務所に応募して(義眼入れて2ヶ月後)、最初は乗り気ではなかったけど、太鼓の師匠の説得もあり、前向きになった。

 

 

ABEMAにも出演!

2021/04/08に出演された時のものです。

 

 

YouTubeチャンネルもあります!

富田安紀子 左目を失明した義眼の女

富田安紀子 左目を失明した義眼の女
左目は失明👀義眼が入っています💕 先に【 心の瞳 】になりました🥰 右目も徐々に視力を失っております🌟 もうすぐ失明します…😭が❣️ 限られた見える時間の中で 前向きに人生歩んでます🌈 失明は【⠀神様からのプレゼント🎁 】 一瞬一瞬、今見え...

 

 

みんなの声

 

 

アルバイト先が同じだった事があります。あきさんは本当に優しくて今でも覚えてます。私は新人だったしみんなとも馴染めなかったのに唯一、「マックのポテト、食べる?」って話しかけてくれて本当に救われました。あの時、助けてくれてありがとうございました。ずっと覚えてます。あの時がなかったらアルバイトを続けられなかったです。陰ながら応援してます。

 

何でこんなに明るく話せるんや
自分の悩みがくだらなくなるくらい。
素敵な人やなぁ。

 

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