元官僚として農林水産省で長年勤め、55歳で医学部に合格。70歳となった今も訪問診療医として第一線に立ち続ける水野隆史医師。ドキュメンタリー番組で描かれたその歩みは、「人は何歳からでも、人の役に立てる」という事実を、静かに、しかし力強く私たちに伝えてくれました。その姿勢に勇気をもらってる人が多いです。
官僚から医師へ──55歳の決断
水野医師は東京大学農学部を卒業後、農水省に入省。仕事に忙殺される日々の中で、ふと目にした新聞記事が、彼の人生を変えるきっかけとなります。それは「62歳で医師になった女性」──安積雅子医師の存在でした。
自らも年齢の壁を越えたいと志し、5年間で50校以上の医学部を受験。度重なる面接では「何年働けると思っているのか」「若い人の芽を摘むことになる」といった厳しい声にも晒されながら、金沢大学医学部に合格。60歳で医師免許を取得し、新たな道を歩み始めました。
選んだのは「訪問診療」──生活に寄り添う医療
病院ではなく、患者の自宅を一軒一軒まわる訪問診療。
水野医師が選んだのは、身体だけでなく暮らしそのものに寄り添う、最も“人間的な”医療のかたちでした。患者の家に上がり、会話し、生活を支える。
ある冬の日、彼は雪に埋もれたカエルの置物を見つけ、手袋もせずに雪を素手で掘って助け出します。
その姿はまるで、社会の中で埋もれてしまいがちな存在を見過ごさず、ひとつひとつ丁寧に向き合おうとする医師の姿勢を象徴していました。
「こんな先生に看取ってもらいたい」──中山艶子さんとの出会い
番組に登場した患者・中山艶子さん。彼女は生前、娘さんと一緒に水野医師の特集をテレビで観てこう語っていました。
「こんな先生に看取ってもらいたいわ」
その後、本当に水野医師が主治医となり、人生の最期を看取ることになったのです。偶然ではなく、願いが届き、行動が重なって生まれた奇跡のような出来事。
「こんな人に出会いたい」と思うことの大切さと、それを叶える人間の力を感じさせるエピソードでした。
安積雅子医師──究極の目標となった存在
水野医師が「自分の究極の目標」と語る安積雅子医師は、86歳まで現役で診療を続けた伝説的な人物。ペースメーカーを入れながらも現場に立ち続け、限界まで「人のために生きる姿勢」を貫きました。
「迷っているなら、やってみてほしい。やらなかった後悔だけは残さないで」
この言葉は、単なる精神論ではなく、人生の終盤まで現場にいた者の“確信”です。
終わりに:「役に立ちたい」という想いが、人生を導く
水野医師の歩みは、年齢や肩書きでは測れない、「人の役に立ちたい」という気持ちの尊さを教えてくれます。
誰かのために生きたいと思うこと。 誰かの最期に寄り添いたいと願うこと。
その気持ちがある限り、人はいつからでも、どんな立場からでも、道を切り拓けるのだと。
水野隆史というひとりの医師の背中が、それをまっすぐに証明していました。
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