世界一裕福な国・ルクセンブルクの「見えない格差」──幸福と孤立のはざまで
世界で最も豊かな国の一つ──そう聞くと、どんな生活を想像するでしょうか。
高水準の福祉、整ったインフラ、美しい街並み。
確かにルクセンブルクは、1人あたりGDPが世界トップクラスという数字上の「成功」を収めている国です。
しかし、Buppa Shotaさんの現地取材動画を見ると、その裏には、思いがけない「構造的な歪み」や「適応できない人の孤立」も見えてきます。
表面的な「豊かさ」をつくる仕組み:GDPのトリック?
ルクセンブルクの1人あたりGDPが高い最大の理由の一つは、越境労働者の存在です。
この国の就業人口の約45%は、ドイツ・フランス・ベルギーといった周辺国から毎日通勤する人々。
彼らの経済活動はGDPに計上される一方、人口統計には含まれません。
つまり、稼ぎ手は多く、分母となる人口は少ない──結果として「1人あたりGDP」が異常に高く見えるのです。
家賃が高すぎて、働くだけの国になる
ルクセンブルクで暮らすには、かなりの資金力が求められます。
住宅価格・賃料ともにヨーロッパでトップクラス。
実際、越境労働者たちはこの物価に適応できず、周辺国に住んでルクセンブルクに通う生活を選びます。
「世界一豊かな国」は、彼らにとっては**“住めない職場”**になっているわけです。
さらに、土地の50%以上を0.5%の富裕層が所有しているという実態もあり、不動産格差は構造的に固定されています。
高学歴・若年・健康体──絞り込まれる「適応可能者」
雇用されやすいのは、若く、健康で、多言語を話し、空白期間のない履歴書を持つ人。
いわば「理想的労働者」のみが選ばれる社会。
逆に病気を抱えていたり、母語以外に不慣れだったりすると、チャンスは極端に限られます。
福祉制度は整っていても、「支援されることに慣れていない」移住者や、文化的適応が難しい人は、見えない孤立にさらされるのです。
無料のバス、無料の医療、それでも「なじめない人」がいる現実
ディビッドさんというホームレスの男性は、こう語っていました。
「食事も医療も無料。教会も支援してくれる。
でも、この国に“なじめない”人は、ドラッグに溺れる人もいる」
ディビッドさん自身は、多国籍な人生経験を持ち、今ではホームレスとして自立的な生活を送っています。
人の悪口を言わず、淡々と現実を語る姿勢は、どこか静かな誇りさえ感じさせます。
けれど、誰もがディビッドさんのように“ホームレスのエリート”にはなれないのです。
「楽園」のようで、「選ばれた人」しか暮らせない国
ルクセンブルクの制度は美しく整っています。
それは確かに「先進国」の理想を体現するかのよう。
しかし、それは同時に、制度に合わない人を選別し、見えない場所に押しやる機能でもあると感じました。
数字に隠された“適応できなかった者たち”の声に、耳を澄ませてみることも必要ではないでしょうか。
まとめ:幸福は、誰のものか?
世界一豊かな国と言われるルクセンブルクには、驚くほど整った制度があり、見た目にも美しい街があります。
けれど、「すべてがうまくいっている」わけではありません。
表面的なGDPの裏にある越境労働の現実
高すぎる家賃と不動産格差
文化や制度に“なじめない”人の孤独
それでもこの国には、ディビッドさんのように支援を受けながら、誇りを持って生きる人もいます。
私たちは、豊かさを数字で測りがちだけれど、
“なじめない人を支える手があるか”という視点も、豊かさの尺度に入れるべきかもしれません。
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